東海林 希美 さん
夫婦で神奈川から移住
ゆとりある時間のなかで、自分らしい日々を楽しむ
2021.1.14
それまで神奈川県川崎市に暮らしていた東海林希美さんが、旦那さんとともに天童市に移住してきたのは2018年12月。まちの風景が雪国らしい風景へと変わりゆく季節のことでした。
千葉県に⽣まれ育った東海林さんは、山形県出身との旦那さんとの結婚を機に、度々山形県を訪れるようになったそうです。その経験から「⼭形県には魅力がたくさんあるということはわかっていました」と⾔います。「とはいえ、実際に住むとなるといろいろ不安でしたけど」とも。
移住から2年、東海林さんの天童ライフはどのようにはじまり、定着していったのか。そして、東海林さんの⼈⽣はどのように変わっていったのでしょうか。
移住をきっかけに自分の暮らしや働き方をシフトさせた東海林さんの、天童での暮らしの物語を聞かせていただきました。
「山形に暮らしたい」という
旦那さんの突然の告白からの急展開
私たちは結婚して6年ほど経ちますが、結婚当初は夫から「山形に帰りたい」なんて話は聞いたことはなかったように思います。むしろ、川崎に暮らしている日々のなかで「いつか家が欲しいね」とか「住むならあそこがいいね」なんて話もしていたくらいなので、そのときには想像もしていなかったんじゃないでしょうか。
ところが、事態が変わったのは2018年6月のこと。いつもとはちょっと違うオーラをまとった夫から「山形に帰りたいんだけど」と突然言われて、「えっ!」となりました。
その頃には「いつかは山形に帰りたい」なんて話も聞くようになっていたのですが、ずっと先の話だと思っていましたから。
とにかく突然でびっくりしましたけど、その場ですぐに考えたんです。夫は帰りたい気持ちが強くなっているし、年齢的にはまだ30代だから転職もできるだろうし、強く反対する理由もそれほどないし。それで「じゃあ、考えてみましょう!」ということになり、移住の実現へと歩みはじめたのです。
夫は転職がしたかったというわけではなく、とにかく山形に帰りたくなったみたいです。東京での仕事はとても忙しく、あまりのハードワークに鬱になってしまう先輩もいたりして。それで「自分は一生この働き方をするのか?」って真剣に考えるようになったようです。
その頃、私は総務系の仕事に就いていたのですが、私もかなり忙しく働いていました。夫と職場が近かったので、22時くらいまでそれぞれの職場で働いて、同じ電車に乗り合わせて帰って、駅のスーパーでお惣菜買って晩ご飯を23時すぎに食べて、また翌朝7時半に家を出て…、というような生活を送っていました。
移住を考えるようになったことで、今までの生活を振り返り、今後の自分の生き方を見直すいいきっかけにもなる。そんなふうに前向きに考えることができました。
夫の職場と、住まいの環境の良さから、
天童暮らしを決めた
2018年12月、いよいよ天童での暮らしが始まりました。天童のまちに暮らすことに決めた理由はみっつ。ひとつは夫の転職先が天童市内に決まったこと。ふたつ目は、住み心地の良さそうな住まいを見つけることができたこと。そしてみっつ目はその周辺環境がとても良かったということです。
住まいを選ぶ際に重視したポイントもいくつかありました。例えば、集合住宅であること。一戸建てもいいかなと思いましたが、冬の雪おろしは大変そうなので、雪に不慣れな間は、そういった手間のかからない物件の方が暮らしには便利だろうと思いました。
今の住まいは市役所や図書館、美術館と近いエリアにあり、様々な施設が密集していて、便利なところがとても気に入っています。転入したてのときには、手続きで役所に通う必要もありますし、まだ車の免許もなく土地勘もない状況でしたから、歩く範囲内で最低限必要なことをやれるというのはとてもありがたいことでした。
1月になってからは、車の免許を取るため、教習所に通いはじめました。若い子が多いなかでちょっと恥ずかしかったですけど、同時にすごく新鮮な気持ちも感じることができて、すごく楽しかったです。いきなり冬の雪道運転だったので、右折レーンがどこかもわからないし、土地勘もないからどこを走っているかも全然わかりませんでしたけど(笑)。
自分の時間を自由に使えるように
オンラインのアウトソーシングサービスで働く
移住するためにはそれまでの仕事は辞めることになるので、天童ではどんな仕事をしようか考えました。会社員として働くなら、自分がどういう環境で暮らすのか、勤務先はどういうところなのか、移住してそれらがわかるようになってから探そうと思いました。
同時に、今までとは違う働き方をしたいな、と考えはじめていました。天童に暮らすことになれば、千葉の実家に帰るのも難しくなるし、いざ帰るにしても週末の一泊二日とかでは慌ただしいですよね。かといって長く滞在すれば休みを取るなど勤務先に迷惑をかけることになってしまいます。
それで考えたのは、自宅で働けるとか、場所に縛られない働き方ができないだろうか、ということでした。
そういう観点から見つけたのが現在の仕事です。簡単に言えば、オンラインのアウトソーシングサービス。企業の総務や経理やその他のさまざまな業務をオンライン上で請け負うものです。私はもともと長く総務系で働いていたのでそのスキルがありますし、また手を挙げれば、例えばライティングなど経験が無くても興味のある仕事にチャレンジすることもできるので、やりがいを持って取り組んでいます。ときには自宅で、ときには温泉で、いろんなところで仕事していますよ。
移住し、働き方も変わったことで、
自分がやりたいことにフォーカスするようになった
振り返ってみると、移住は自分と向き合う大きなきっかけになったと思います。そして、実際に天童で暮らし、働き方が変わったことで、自分は何がやりたいのかということに意識を向けられるようになりました。
それまでの部署の壁の中で与えられた仕事をやるのとは違い、今はやりたい仕事に自分から手を上げられる、チャレンジしたいことにチャレンジできる環境です。自分はこうなりたい、こんな仕事をしたい、ということをしっかり考えられるし、逆にやりたくないことは選ばなくていいんです。
金銭面で言うと、以前の方が収入は良かったですよ。でも、都会での生活では得られなかったすばらしい環境を今は手に入れられたと感じています。仕事は自分で選べるようになりましたし、日々の生活を大切に自分らしくいられる。これが、移住前と天童での生活で、大きく変わった点だと思います。
地元の食材はどれもとてもおいしいし、各地に温泉があるので日ごろから気軽に楽しめます。また、ふと目を向けた時の大きな山の景色や、雪原に残る動物の足跡とかには癒されますね。私はそんな今の暮らしをとても気に入っています。
それから、地元の人との交流にもなればと思い、図書館でのボランティアに参加しています。学生時代には図書館で働きたいと思っていたんです。その時は叶えられなかった気持ちを思い出したり、チャレンジしてみようと思えるようになったのも、時間的にも精神的にもゆとりができたからだと思います。
あとは、そうですね。これからやってみたいと思っているのは、天童にはシェアオフィスがないので、そういう空間をつくるようなプロジェクトがあれば、ぜひ関わってみたいですね。
撮影協力:天童最上川温泉ゆぴあ