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大沼 惇
「遊覧馬車の唄」などの作詞家 大沼 惇(あつし)大沼惇は、明治43年1月2日、父大沼澄、母志んの長男として、天童町天童で誕生した。
昭和4年に山形師範学校を卒業し、蔵増村立蔵増尋常高等小学校に勤務したが、翌年4月から8月まで、短期現役兵として兵役に就く。
同年9月に復職したが、病気のため3カ月間自宅で療養した。この間に「アララギ会」に入会し、作詞活動に入った。
その後、歌集「芽生え」「うた心」などを自筆ガリ版で刊行した。また、童謡「我等の蔵増」、歌謡「遊覧馬車の唄」を作詞した。
昭和9年には、山形歌謡協会発行の「汽車ぽっぽ」に童謡「天童子供」「飛行機トンボ」の2編を掲載した。
昭和11年には、「遊覧馬車の唄」が映画化され、大沼は関係者としてさまざまな世話に奔走した。また、15年には、NHK山形放送局でも「遊覧馬車」がラジオドラマとして放送され、作・演出者として活躍した。このドラマには関係者も多数出演し話題を呼んだ。その後も、童謡、歌謡、校歌などをつぎつぎと作詞するとともに、放送劇「秋祭り」「納豆売り」「街角で」などを創作した。
昭和41年4月に定年退職したが、退職後も天童歴史物語「こども天童物語」、伝記物語「鼻紙先生」を刊行するとともに、「はなかみ先生」の顕彰碑建立などにも尽力した。また、その後も作詞活動を精力的に続けるとともに、テレビや新聞などで紹介され活躍した。
大沼惇は多くの作品を世に残し、平成元年6月16日に病気により他界した。享年79歳であった。
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